現代の大衆である我々と大衆文化は、二〇世紀前半、メディアの揺籃期に誕生した。ラジオ、テレビが出現した時期である。今日、それらは当たり前のように存在し、我々は一方的な情報の受け手として、なんの疑問もなくそれに接している。しかし初めてそれらが登場したとき、人々はとまどいながらも果敢に接していた。いったい我々は、メディア大衆としてどのように飼い慣らされていったのか。何が獲得され、何が失われたのか。今や第二の自然となった「ラジオ」と「テレビ」、個人情報問題の先駆けともいえる「パンチカード」、個人性を排した大衆管理の象徴である「火葬」の発明をめぐって考察していく。