今でこそ、穏やかで美しい姿形を見せている富士山だが、約三百年前の宝永四年(一七〇七)に大爆発している。およそ一〇億立方メートルの山体が一挙に吹き飛び、偏西風にのった火山灰は江戸の町にまで及んだ。その爆発の激しさは、今でも富士山中腹の宝永噴火口に見てとれる。著者は、当時最も大きな被害を受けた東麓の須走村(現・小山町)をはじめ、村々の記録を丹念に読み込むことで、百年にも及ぶ被災地の困難と、それでも、民衆が幕府、藩を動かし復興を勝ち取っていった歴史ドラマを浮き彫りにする。ふたたび富士山の火山活動が予感される今、改めて巨大災害からの復興の歴史に学びたい。