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ソフト・パワーのメディア文化政策 あとがきディスプレイに向かって遅まきながら着手したこの文章の右隣のウィンドウには、ちょうど二〇一二年のロンドン・オリンピック開会式の生中継が表示されていた。偶然のタイミングで「ながら視聴」したこの開会式は、まさにイギリスの文化的資源のショーケースとも呼ぶべきものとなっており、結局は原稿の手を止めることになってしまった。芸術監督を務めたのは、スコットランドの荒れる若者の日々を描いた『トレインスポッティング』、また最近ではアカデミー賞受賞作の『スラムドッグ$ミリオネア』で知られた映画監督ダニー・ボイル(前者のエンディング曲「ボーン・スリッピー」で強い印象を残したテクノユニットのアンダーワールドも音楽監督として加わっている)。「驚異の島々」(アイルズ・オブ・ワンダー)をテーマとしたこの開会式は、イギリスの自然や産業革命から描き起こした後に、文学、テレビ、映画、音楽などで世界中に知られたイギリス発の断片をそのままサンプリング、あるいはパロディ化すらして豊富に挿入することによって作り出されていた。演出に用いられたショートムービーではちょうどダイヤモンド・ジュビリーを迎えた女王エリザベス二世自身を当代のジェームズ・ボンド((『007カジノ・ロワイヤル/慰めの報酬』))のダニエル・クレイグにエスコートさせていたし、イギリスの福祉を象徴するような小児病院を襲う『ハリー・ポッター』シリーズの悪役ヴォルデモート卿に立ち向かうのは、空中から登場する無数のメリー・ポピンズである。多彩なジャンルで構成された英国ポップ音楽のメドレーを背景とした小劇の終盤では、世界中、現代人の多くが依存するインターネットのアーキテクチャ=WWWを開発したイギリス出身のコンピュータ科学者ティム・バーナーズ・リーが登場し、彼がパソコンにタイプした「これは皆のために」(ディス・イズ・フォー・エブリワン)というメッセージが観客席にも表示され喝采を浴びる。まさにイギリス(メディア)文化の伝統と革新、またそれに通底するユーモア精神や、体制とは相容れにくい文化すら取り込む余裕を積極的、効果的に伝えるものであったように感じられた。本書に収められた各章、特にイギリス編やさらに第二部の文化政策の各種メディア展開をめぐる問題について読者に先んじて詳細に検討した後だっただけに、文化とソフト・パワー、またメディア文化政策の展開について考えさせられる、個人的に貴重な機会となった。二〇二〇年に向けて、再び東京がオリンピック招致に挑むという。しかしこの開会式に相当するようなものを、そのまま形式を借用して作るとしたら、いったいどのようなコンテンツをはめ込んで「クール・ジャパン」を伝えることができるのだろうか。AKB48、世界的に知られるようになった映画俳優やプロスポーツ選手、アニメや初音ミク……、いろいろと空想はめぐるが、ここでロンドンの開会式もよく見ると、注目を集めたシーンで「Mr.ビーン」ローワン・アトキンソンがコミカルに演奏した映画『炎のランナー』テーマ曲を作ったのはギリシャの音楽家ヴァンゲリスであるし、病院の子どもたちを襲った、また守ったキャラクターが広く知られるようになったのはディズニーやハリウッド大手製作の映画を通じてである。ティム・バーナーズ・リーがWWW開発を行なったときに在籍し発祥地として知られる欧州原子核研究機構(CERN)はジュネーヴに所在する。イメージを作り上げるために使える素材は、必ずしも純国産で占められる必要もないかもしれない。そう考えると、「ソフト・パワーとしてのメディア文化政策」の可能性や捉えるべき射程は非常に広いものであるように思われる。このテーマの積極的な面であれ、ダークサイドであれ、考察を深める出発点として本書が一つのきっかけになればと願っている。本共同研究の企画は二〇〇八年にさかのぼる。代表者の佐藤卓己は、これまでも横断的メディア共同研究をさまざまな観点から立ち上げており、私自身の関係した一部のものを挙げてもそれは『戦後世論のメディア社会学』(柏書房、二〇〇三年)、『ラーニング・アロン』(新曜社、二〇〇八年)などの成果として結実している。今回は、日本のさまざまなメディア文化が国際的に評価されていることやソフト・パワーの関心の高まりなどを出発点とし、従来的な文化政策研究に加え、メディア、広報また地域、外交研究などに分断された成果を結びつけた包括的な「メディア文化政策」論を打ち出すことを目的として研究会が組織された。時期的には二〇世紀前半から現代までを対象とした上で、日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスなど情報先進国における文化政策の事例、および出版、映画、放送、展覧会、インターネットなどの各メディアで展開された文化政策の特質を比較検討することによってメディア文化政策を有機的、立体的に理解することを目指したものである。これらの各国、またメディアをフィールドとする研究者チームによって提案された研究計画が科学研究費補助金の対象として採択されたことによって、二〇〇九年度より三年計画で実際の作業を開始することとなった。拡大メンバーとして京都大学大学院教育学研究科在学/出身の若手研究者を、その専門に応じて精通するメディアの担当としてさらに加えた上で、毎回の研究会においては前述の各国、また各メディアを担当する研究者によって独自の視点からの整理や当該国からの資料収集をふまえた事例の詳細な検討、また各メディアと文化政策をめぐる問題に関わる網羅的なレビューが年数回のペースで報告された。毎回密度の濃い熱心な議論が、研究会の時間を超えた懇親会の席でも引き続き、一度の例外なく深夜まで行なわれたことは当然なことであったと言えるだろう。さらに、研究会においては二度の外部専門家による講演会を行なった。二〇〇九年度にお引き受けいただいた村上浩介先生(国立国会図書館、「図書館情報学におけるデジタル化の様相」)、また二〇一一年度にお願いした長澤彰彦先生(大阪国際大学、「パブリック・ディプロマシーとしての観光政策」)には、われわれの視野をさらに広げていただき、また多くの気づきを与えてくださる機会となったことについて、ここに特筆して御礼を申し上げる。最終的にこの研究会の成果をとりまとめたものが本書である。研究期間の中盤から、すでに研究代表者の佐藤によって報告書たる本書のフレームが提示されて、それも検討の対象となっていたが、二〇一一年度にはこれまでの報告と議論に基づいて、各参加者の視点からそれぞれの論文の執筆が開始され、二〇一二年二月に開かれた最後の研究会においては全員が完成された草稿をもちよりさらに検討が行なわれた。それをふまえて各員が年度明けから改稿に着手して編まれたのが本書である。書籍化に当たっては研究会のなかから佐藤、渡辺、柴内の三人が編者を務めたが、分担としては佐藤が本研究を貫くテーマについて提案した上で各章の構成を含め全体を統括検討し、各地域研究を扱う第一部は渡辺が、各メディア研究を扱う第二部は柴内が担当して方針の提示およびそれぞれの各章草稿についてのコメントなどを行なった。なお、本書の編集は新曜社の渦岡謙一氏にお引き受けいただいた。編者・執筆者一同、感謝を申し上げたい。最後に、個人的なことも絡めながら書き記しておきたい。この研究会の終了と時を同じくして、私も一三年間勤務した同志社大学を離れ、現任校の東京経済大学に異動した(そのタイミングのゆえもあって、「あとがき」を書かせていただく光栄に浴したようなのだが)。本書を見わたしてみたとき、編者また執筆者一同のなかでもっとも「文化」との関わりが(業績のみならず、教養という点でも)薄いのが自分なのは傍目にも明らかのように思われる。客観的に見ても、元来は社会心理学の出身で情報行動論などを専門にしてきており、文化とは直接的な関わりは薄い。社会心理学においても、文化をめぐる問題は重要なテーマとして現在一大潮流をなしていると言ってよいのだが、個人的には敬遠しがちで、扱う時にもいわば剰余変数として切り離すような傾向があったことは告白しなければならない。ただ、京都で過ごした一三年間を振り返ってみると、第二部序論で引用した同志社赴任当初の自チームの論文は、文化の生成と変容のメカニズムを計算モデルで検討することがテーマとなっていたし、そして在任の締めくくりには、メディア文化政策をめぐる本書の編集作業を分担している。結局のところ同志社大学在任中、最初と最後は文化に関わる仕事をしていたことになる。いにしえから文化の発信、集積地であり、またその交差点であった京都という地が醸し出していたものに、「東男」なりに影響を受けていたということなのだろうか。またこの在任中は、メディア史・メディア文化論を専門とする京都大学などの大学院生・若手研究者たちが歴代、私のセミナーに領域を超えて出席し、そこから自分も計り知れないほど多くの刺激を得た。近年の出席者が本書第二部執筆の中核メンバーともなったという縁もあって同部担当の編者として関わることになったのだが、本書とは独立して、京都で長きにわたって日常的に続いたそのような学問上の刺激に対しては個人的に感謝申し上げたい。そのような若手との交流も、結果的に筆者に文化の目を開かせてくれるきっかけとなったのだろう。「文化と縁」に関連づけて記せば、本研究また本書に携わることになったのは「メディア文化政策」と社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)の問題についても検討する可能性があったことも理由の一つであり、関連して、リチャード・フロリダの「クリエイティブ・クラス/都市論」の問題なども研究会また自分のセミナーでは議論されていた。本書にそれらの視点を反映できなかったことはひとえに当方の力量不足の問題であるのだが(ただし、第二部の各メディアをめぐる論考においては、メディア文化政策と「ソーシャル」的側面について触れたものが多い)、今後の本テーマにおける宿題としてあえて最後に記しておく。自分としても、京都から東国に持ち帰った大事な視点の一つである。* 本書は二〇〇九―一一年度科学研究費基盤B「ソフト・パワー構築に向けたメディア文化政策の国際比較研究」(研究代表者・佐藤卓己、課題番号:21330039)による成果の一部である。なお、同じく成果の一部として既発表のものに、植村和秀『日本のソフトパワー―本物の〈復興〉が世界を動かす』(創元社、二〇一二年)がある。二〇一二年九月柴内康文